生活

なんもなんも、いいのさ したらね

ともだち100人できるかな

Eテレに『 いじめをノックアウト』という番組がある。

以前たまたま見た時のテーマが、
“「3月のライオン」で考える いじめのこと~動きたくても動けないのはなぜ?~”(公式サイト)
として、漫画を取り上げて進行されていた。



この回全体通して 考えさせられる内容だったけど、心動いた場面がひとつあって。

教室で、4~5人の中学生徒が 実際に漫画を手に取りながら ひなたはこうだったと思う。こういう所が凄い。では自分だったらどうだっただろう?と 議論をしていく。
と、途中で 男性教諭の方が 黒板に書き込みながらゆっくり話し始める。



「学校の先生がさんざん言ってきた、
『明るく』
『元気』
そして『友だちたくさん』
じゃあ、その逆は?」

続けて書く先生。

「『暗い』
『おとなしい』
『友だちが少ない』。」

そして生徒たちの方に向き直り、

「そんなに、いけないことなんですかね」と聞く。


「ありだと思う」「それも個性だと思う」
と返す生徒。


「『明るく』『元気』『友だちたくさん』と言ってきた。そうすると、いつの間にか教室にだれかが“君臨”するようになる。そして、たいがいこの人は、明るくて面白い。ウケる。ウケる場面があるから、教室を明るくしてくれているようにみんなが錯覚し始める。そういうことってない?」と先生。




同感した。
そして、先生達の教えによってこのような状況に加担してしまったかもしれないという事を、現役教諭の方がこうして声に出してくれるありがたさ。こう言ってくれる先生もいるんだと、どこか救われたような気持ちになった。




『 おとなしい』は悪なのか?
『 友達』はどうして多い方がいいのか?


人の性格をざっくりふたつに分けて、こっちは良し、こっちは悪し としてしまう風潮も どうなんだろう?


前向きであれば心も明るくなって良い!という教えも、理解は出来るけど 一概にポジティブであるべきとされるのも どうなんだろう?





以前よりも、多様性を受け入れようという声が高まってきてはいる(ように感じる)のに、
多感な時期の多くを過ごす最も大事な場所で、没個性化を刷り込む結果になっていないだろうか。

当時はなんとも思っていなかった学級目標も、きょうのめあて も、帰りの会の不思議なあのコーナーも、いまこうして大人になってから考えると 空恐ろしさばかりだ。と思った。

もう少しこう…なんとかならないかな…(締めが曖昧)











子供の保育園・幼稚園を探してHPを見て回っていた時に、教育方針・理念として『 みんな明るく、元気な子どもたちに!』『 たくさんの友達と なかよく過ごそう!』みたいな事がドンと載っていて、
まんまやんけ!!とこの番組の事を思い出した。


前に出ていくのが苦手でも、声が大きくなくても、友達は無理くり作ろうとしなくてもいいんだよ。悪いことじゃないんだよって、私は子供に繰り返し伝えていこうと決めている。