生活

なんもなんも、いいのさ したらね

元日

 
あけましておめでとうございます。

 

2020年になりましたね。帰省先でお義母さんと一緒にお風呂に入った子供が「ばぁばおなかすごーーーい!!」とキャッキャする声が聞こえてきた時は10回気絶しました。子供が無邪気だって良い。時を戻そう

 

 

さて、年明け早々に 目が覚めるような情報を目にしました。推しの結婚報告です。

(便宜上”推し”という表現を使いましたが『 ”推し”ってアイドルかよキモ』みたいな話は今してませんしするつもりありませんすみません)

 

 

『 皆様へご報告がございます。』

見出しを見たその瞬間の私はというと
0.8秒でなんとなく察し、走る緊張感に体が耐えられず
一生懸命リンク先の文章を読もうとしても、目がツルッツルに滑る。
「あわわわわわ………」とアフロ田中ばりに狼狽えるしか出来ませんでした。

何度も読んでやっと文を理解するに至り、
そこでやっと安堵と驚き、そして興奮でとてつもないテンションになりました。
たまたま横に居た夫に報告して、よ、良かったぁーーー!と突っ伏したら、
「あっ… 良かったんだ?」
と、ちょっと反応に困ってたらしい夫が笑いながら
「ショックかなぁと思った」と続けた。


実際その時”ショック”という感覚はビックリする程無かった。率直に嬉しいとかなんだか安心したような気持ちでいっぱいだったのだが これから時間が経つにつれジワジワ別の感情がやって来るのかな。と ボンヤリ考えた。
2020年の私はこんな感じだが、もしこの報告を聞いたのが、 今から5年前、バンドの事が好きすぎて好きすぎてヤバ状態な当時の自分だったら。

 

 

 


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今でこそ  自分なりに 好きなバンドとの距離感は程よく保てているつもりではいますが

もしこれが5年前の自分だったら?と思うと、正直どうなっていたかわからない。


ウワァーー!おめでたい!泣きそう!どうか末永くお幸せに!とは本心なので言いつつも、きっと心のそうでない所ではモヤモヤとして複雑で、なんか寂しくて、でもそう感じちゃう自分が嫌だな、100%お祝いしてあげられない自分も いちファンとしてどうなんだろうな、ってぐるぐる自己嫌悪に陥って
Twitterにポエム化した思いのたけをありったけのように垂れ流し
所謂 ”ロス”が深刻化してしまう、そんな様子が手に取るように見えてきました。

 

今よりも遥かに力を注いで追い掛けていた時期だったからショックも大きいかもしれない。ひょっとすると、まだ全然手放しでは喜べなくて、ウンウンと思い悩みながら時間をかけて事実を受け入れていた可能性もある。
想像なのにありありと見えすぎてしまう。

 

でもこれ別に悪い事ではない。



素直におめでとう!って言える人はそれでいいだろうし、今はちょっと時間が欲しい…そっとしておいて…って人がいても 全然おかしくない
それはそうだ。いやぁだって寂しいじゃん。やっぱ寂しいなって思うのは仕方がない事じゃん。

 

いろんな思いを抱えたっていいから自分の気持ちを大切にすると良い。 過激派に転じたり 常識を逸脱した行動に走らなければ (具体的にどういう行動かは思いつかないが)、大切な葛藤だと思います。

 

 


しかし、
どこの界隈とか関係なしに、以前からこのテの話題になる度に私が違和感を覚えるのは
『 人の葛藤にNOと言う人』
『 人の葛藤に後ろ指をさす人』の存在です。
書きたかったのはこの話です。

 

 

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つい最近の話でちょっと印象に残った事が。
あるアイドルが結婚発表をした時です。 SNS上で賛否両論大炎上になっていた事がありましたが、
それだって、”賛”も”否”もあって当然なんですよね。
(私自身は この話題にそこまで詳しくないので深く掘り下げる事は出来ませんが…)

”否”側もその時は、一部の人がまぁすごく強い物言いをしたタグ付けツイートをしていて、そこがあっという間にファン界隈を飛び越えて一般的な所にも広く拡散、結果トレンド上位入りみたいな泥沼化を見せていたんです。が、

ちょっとだけ見たんですけど
その過激化したツイートのリプ欄にいたのって
「お前が幸せになれるわけねーだろ」
「ゴミカスで草」
「発狂してるファンたのちー」
「金〇蹴ってください」
みたいな、
あなた絶対普段その対象のアイドルの話題出した事ないよね?何しにきたの?みたいな人達で溢れかえってたんです。


もちろん元からファンやってて怒ってる人もこれに乗っかってる可能性は大いにあるけど、大多数は検索避けしたり、鍵垢で呟くんじゃないだろうか。想像ですが。

 

要は 多く見受けられたのは、賛でも否でもない
「やっぱジャニオタってこえーな」って言いたいだけの人達です。

 

対象の推しが結婚した時に厄介な存在は
「ファンなら〇〇の幸せを願うべき」
「祝えないのはファン失格」
「付き合えると思っていたの?」
のような類の、お気持ち土足で押し付け型だと思います。

 

「あなたがそう思うならそうすればいい。私はそうは思えない」 って言ってるのに、全然違う所から
「なんでですか!!ファンなら〇〇の幸せを1番に願うべきです!!願えないなんてファン失格!! #〇〇に幸せになって欲しい人RT」
みたいに、
こちらから距離を置こうとしているのにわざわざ手をグイと引き寄せながら みんなもそう思うよね!外堀埋めようとするやり方よく見るけど、本当余計だと思います。分かり合えないし双方幸せになれない。


まさかワンチャン付き合えると思っていたのか、も絶対に違うと思う。手が届きそうだから好きになったり追いかけている訳じゃないでしょう。いや皆そうとは言いきれないけど。

 

 

ファンであるこちらも嬉しくなったり、けど必ずしもそうではない場合もある。時間を要したり少し距離を置いてみたりしながら 真剣に切実に気持ちの整理をしている事だってあると思います。
当たり前にそれでいいんです各々でいいんです。
他人があれこれ言う必要はない。
あれこれ思うだけならご自由にだけど、それをわざわざ形にして言葉のナイフにするのは違う。

 

 

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ある対象(A)に対して
Aは絶対的存在。とっても好き!神!
って思っているタイプと
Aは滅びろ。確実に殺す。絶対に許すな
っていうタイプ、 相入れる訳がない。


そこが混ざり合うと戦場にしかならないから
棲み分けっていうのは大事だと、大事っていうか必要だと思います。


棲み分けた先がどんな場になっていようと、お互いに干渉しない限りは そこで何を言おうがある程度は自由だし許されます。残念ながら。 

許されるけど。

そこが日常生活だろうとネット上であろうと、人に悪意を向ける事を前提とした所には居たくないし居ちゃいけないな。と強く思います。

 

皆で蔑むとか 負の感情をぶつけてさげ落として草生やしてエンタメ化とか、恐ろしくて私は好きになれないです。

 

だから反面教師じゃないけど、自分は少しでも綺麗な方に棲みたい。そこが絶対的に永遠に綺麗ではないかもしれないけど、自分にとって楽しいものや価値のあるものがたくさんある所に身を置きたいし好きなものだけ見てたい。


私は綺麗な所から応援していこうと思います。
みんな程よく放っておき合いながらファン出来たら理想なのに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まぁ普段アイドル好き好き推しがいっぱいとか言ってるから色々と説得力ゼロなんですよね。それなーーーーーーーーー泣いたーーーーーーーーー